🙆‍♀️我が家の掟?!〜絶対に負けない母と3兄弟〜

教育・子育て

今日は質問をいただきましたので、それに対してのお話をしたいと思います。
テーマは「我が家の掟?!」について。

うちには三人の息子がいます。
長男と次男は年子で、さらに3年あけて三男。
性格も体格もバラバラですが、とにかく毎日がにぎやかでした。

とにかく毎日が戦闘モード
主人は帰宅するたびに「今日は無事かな??」と思っていた、と言われるほどでした。
そんな彼らも今では皆20代。
実家を離れてそれぞれ生活をしており、当時のドタバタは懐かしい思い出になっています。


当時、私は息子たちに対して、
かかってくるならかかってこい!!絶対に負けない!
というスタンスで挑んでいました。まさに真剣勝負!!目力がすごかったと思います!おそらくすさまじい闘魂が出ていたと自負しています!!(のぶごま調べ)

そのおかげでか、彼らは「母には手を出してはいけない」と自然と感じていたのか、暴力は絶対にありませんでした。まあ、ある意味、彼らは大人でしたね!力では自分が勝ってしまうから、あえて一歩引いてくれていたんだと思います。


ただし口では“ばばあ”という言葉が日常的に飛び交っていました。一番発していたのは、三男かな~☆

もっとも、呼ばれっぱなしでは終わりません。
私も負けずに
「あんたもそのうち、いずれはじじいになるんだよ~」
と切り返していました🤣
今思えば、こういう応酬も我が家独特の空気を作っていたのだと思います。そして、言い返されるたびに、成長している証拠だなと思っていました。


そして我が家には、いくつかの“絶対に譲らない掟”がありました。

まずは「宿題は必ずやってから遊びに行く」。
これはどんなに不満そうでも徹底させました。
友達が遊びに来ても「宿題終わったの?」と聞き、済んでいなければまず机に向かわせる。
面倒でも「やることをやってから楽しむ」を体に覚えさせたかったのです。

次に「夜ごはんの前には、その日の日課を済ませる」。
片づけでも、翌日の準備でも、とにかくその日の日課を終えてから食卓につかせました。
ぐずぐず後回しにするクセをつけたくなかったからです。


さらに大きな掟が「学校は休まずに行く」でした。
当時はまだ“不登校”という言葉が今ほど一般的ではなかった時代。
私は「一度休むと行きにくくなる」と思っていたので、多少調子が悪くてもまずは学校へ送り出しました。
どうしても無理なら早退して帰ればいい。
小さな嫌なことからすぐに逃げない」ことを、日々の積み重ねで身につけてほしかったのです。


それから「人から叩かれても、やり返さない」。
特に長男は身体が大きかったので、力でやり返すのは簡単だったでしょう。
でもだからこそ、私は何度も「絶対に手を出すな」と言い聞かせました。
子ども同士、からかい半分で叩かれることもあったと思います。
そのたびに我慢するのは本人にとって大変だったでしょうが、その経験が思いやりや気遣いにつながっていったのだと思います


そしてもうひとつ。
嘘をつくな!

これは本当に強く言い聞かせました。
ちょっとした嘘が、大きな問題につながる。
だから私はいつも言っていました。

自分が損することがあっても、正直でいなさい

その場を取り繕うための嘘よりも、正直でいることを何よりも大事にしてほしかったのです。
家の中で“信頼”を崩さないこと。
それが何よりの土台だと思っていました。

…もっとも、彼らが本当にそれを守っていたかどうかは??ですがね!!🤣



そんなこんなの連続でしたが、彼ら3兄弟は、本当に仲良く育ってくれました☆私がガミガミうるさいので、三兄弟で確たる絆ができたのだと思います☆

皆さんの家ではどんな掟?!がありますか?

↓大人になった彼らとユニバーサルに行ったときの写真です。ミニオンズ・かわいい💛

なんかうちの息子たちに似てるかも?!

いつまでも三兄弟仲良く生きていってもらいたいです♬ のぶごまのつぶやきでした。

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